キャンベル氏が照らした“菊五郎という役者”──菊五郎・菊之助 鼎談を読む(後編)

2025年8月31日

キャンベル氏と和やかに鼎談する菊五郎と菊之助

令和七年、八代目・尾上菊五郎、六代目・尾上菊之助の襲名に合わせて、日本文学研究者・ロバート・キャンベル氏との鼎談が行われました📚👘✨

五月公演の前に掲載された前編に続き、六月の襲名披露公演を目前に控えたタイミングで公開された後編から、私が「これは……!」😳と感じた部分をご紹介します🎯

※鼎談全文は以下よりご覧いただけます📖👇

※五月にミナミが書いた前編については以下よりご覧いただけます📖👇

前回は團菊祭・五月大歌舞伎🎏が中心でしたが、今回は六月大歌舞伎が舞台🎭。キャンベル氏が『菅原伝授手習鑑』の「寺子屋」「車引」について話を振ると🎙️、八代目が現代人が抱える“寺子屋の最大の疑問”に答えました🤔

「現代の感覚ですと、なぜ主君のために子を犠牲にしなければならないのか――という気持ちになりますが😓、親が子を思い、子が親を思う、その心はいつの時代も変わりません🫶。もしかしたら親以上に子どもは親のことを思っているかもしれない🥲。小太郎は身替りになる覚悟を秘めているような気がします。」

八代目は「あえて断定せず」に語っています🤐。言葉を選ぶ姿勢は、現代の感覚では受け入れづらい「寺子屋」の首実検の場面に対し、「児童虐待を美化している」とも取られかねないセンシティブなテーマへの配慮でもあるのでしょうか💭💦

これに対して、キャンベル氏が続けます🧑‍🏫
「母の千代からはなんとか小太郎を生かしたいという思いがひしひしと伝わってきます🥺」

それを受けて八代目が、
「その母と子の姿も大切なテーマなので…」

ここで見えてきたのは、「忠義」という男性的な価値観だけでなく👨‍👦‍👦、母と子の“愛情”を描く物語としての視点💗。キャンベル氏は、八代目の口調に“言いづらさ”を感じたのか💦、絶妙に論点を変えて空気を和らげたようにも見えました🍵😌

そこから話題は、八代目の岳父=中村吉右衛門(二代目)へ👨‍🦳🏯

菊之助が語ります🗣️
「5月は父や祖父七代目菊五郎らしい弁天小僧を目指しましたが🎋、6月は祖父吉右衛門らしい梅王丸ができるように頑張りたいです🔥」

音羽屋の芸だけでなく、播磨屋の祖父の芸を追うと言われては、ちょっと胸熱です!🔥😭これはもう、将来の舞台が楽しみになる一言🎉👏

続いて、キャンベル氏の印象的なことば📝
「俳優さんが成長していく姿を見守れることが第一の楽しみで👀、もう一つは観客側も人生経験を重ねていくと、同じ芝居でも視点が変わっていくんですよね🧓👶」

この言葉、すごく響きました💘 歌舞伎は「人生とともに見え方が変わる芸術」なんだと🎨 自分の年齢、経験、立場によって、あの場面もこの場面も、違った意味を持って迫ってくる──そんな演劇、なかなかありません😌✨

菊之助も、まだ小学生ながら🏫
「(歌舞伎を難しいと感じている人も)これを機に歌舞伎デビューしてほしい🌟」

とのことで、もう一端(いっぱし)の役者ぶり🎭 これからの成長が本当に楽しみです🎉🌱

さらに話題は芝居に取り組む姿勢へ🧘‍♂️
「型が完璧に身についてこそ、その役を離れて、自分の心情で芝居ができるんです🧠💫」

という八代目に、キャンベル氏が返したのが──
「虚実皮膜(きょじつひまく)」🌀

私は初めて聞きましたが、近松門左衛門の芸術論で、「虚構と事実の境界にこそ芸術の真実がある」という意味🎭🔍 まさにキャンベル氏らしい鋭い一言⚡ 日本人同士ではまず出ない応答に、ちょっとゾクっときました😳💡

そして父・七代目の指導法の話へ──🧑‍🏫
「父は『自分で考えろ』という教え方だったので…」
自主性重視? それとも放任主義?(笑)🥴💦

それに対して八代目自身は、
「私は細かく教えてしまっています(笑)」😅
「背中を見て学べ」から、「細やかに導く」へ📘➡️👣 これが令和流の育成スタイルかも?📈✨

一方の菊之助も、
「今回は心情をちゃんと考えて踊れるようにお稽古しています」💃💭
と語ります。

彼がたびたび口にする“心情”というキーワード🧡 単なる型の反復ではなく、感情と理解を伴った表現を目指していることが伝わってきます🎭🧠

ラストは、襲名という制度の核心へ──🏯
「襲名は、名前や芸とともに『心』を受け継いでいくもの🧬」
「父(七代目)が疲れて帰ってきても、夜中に眼鏡をかけて台本を直していた姿が忘れられない」

この言葉には、背中で語る芸の継承の本質が凝縮されているように感じました🌟🙏

キャンベル氏がまとめに語ったのが、
「襲名は、古いものを大切にしながら、時代に合わせて変化していく螺旋階段のよう🌀🪜」
という表現。そして八代目の
伝統と革新ですね🔁」
という応答。

この「伝統と革新」という言葉、まさに今回の鼎談全体を貫くキーワードといえるでしょう🎯🌸

ただ少し気になるのは🤨 八代目が音羽屋の家の芸である“新古演劇十種”を現代に通じるように復活したいと言いながら、どういう事情かわかりませんが🤔 五月・六月の歌舞伎座公演ではその演目が入っていない点🙃 7月の大阪松竹座での『土蜘』が襲名披露の最初の“新古演劇十種”となるので注目したいところです👀📌

最後は菊之助の元気な宣言で締めくくられました📣✨
「二人の祖父や父の心を受け継ぎ、精一杯努力して、名前に負けない役者になります!💪🔥」

前後編にわたる今回の鼎談📚 キャンベル氏という“外の視点”が入ることで🌏 襲名という日本独特の文化がとてもクリアに、そして奥深く伝わってきました🔍❤️

八代目と菊之助の歩みは、まさに「伝統と革新」の体現そのもの🚶‍♂️🚶‍♂️✨ 各演目に向かう姿勢、芸の継承のあり方に触れるたび、私たち観客も何かを受け取っている気がします🎁🫶

キャンベル氏の言う通り──
「想像力が活性化されて、いろいろな景色が見えてくる。歌舞伎は想像させる芸術」🖼️💭

これからの歌舞伎は、観客自身の想像力を通じて、ますます豊かなものになっていくのでしょう🌱🌈 わたしも様々なことを想像できるような歌舞伎の見方をしてみたいものです👀✨

★ぜひ、あなたも歌舞伎の舞台の先に広がる世界を想像してみてくださいね。🌟🎑🎭

▶▶ 歌舞伎座・六月大歌舞伎(八代目・菊五郎、六代目・菊之助 襲名披露公演)はこちら